乙女の像はなぜ十和田湖に建てられたのか

山田 悦子 (十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会)

 幼い頃から十和田湖畔に建つ「乙女の像」をことある事に眺めてきました。しかし、なぜ十和田湖に建てられたのか疑問に思うこともなく、知っていたのは制作者が高村光太郎というくらいでした。 平成25年は乙女の像建立60周年です。この節目に「乙女の像」の事を少し調べてみることにしました。 どのような経緯で十和田湖畔に高村光太郎の最後の像が建てられることになったのか。

大町桂月、武田千代三郎、小笠原耕一写真写真:ATV青森テレビ乙女の像建立50周年記念特別番組より

 昭和25年12月青森県では津島文治知事(太宰治の長兄)のもと、国立公園指定15周年記念事業として十和田開発に功労のあった大町桂月、武田千代三郎(十八代県知事)、小笠原耕一(十和田村村長・県議員)の三氏の功績をたたえる記念碑建立についての話し合いが行われました。

 昭和26年6月三本木高校の校歌を作詞した佐藤春夫は同校の校歌発表会に参列し、式終了後県観光課の案内で初めて十和田湖・奥入瀬をめぐり奥入瀬の清冽な流れの印象を後日「奥入瀬渓谷の賦」として発表しています。

 弟の太宰治が佐藤氏に大変世話になっていることを承知していた津島文治は公用車に運転手をつけ恐山や種差など県内の観光地をくまなく案内するよう指示を出したようです。その際に案内した観光課長が記念事業のことを説明しました。

 その頃少し前に、戦後仮庁舎だった県庁舎を建築するにあたって、設計を東京工業大学教授・谷口吉郎博士に依頼しており、現地視察に来られた際に十和田湖を案内した観光課長が記念碑の事を話しています。

 偶然にも佐藤、谷口両氏の意見が「観音様などではなく、むしろ景観からみてもっと象徴的なもののほうが・・・」と同じであったことを受けて県は「記念碑として十和田湖の景観にふさわしいものを。」と案を変更したのです。

建設地視察のスライド

 そこで、再度佐藤春夫に意見を求めたところ「岩手県太田村山口の山荘にいる高村光太郎に依頼する」という回答でした。

 その後、高村光太郎へ制作をお願いすることになるのですが、昭和27年3月20日谷口吉郎博士が、藤島宇内(光太郎と親交が深かった)と共に佐藤春夫からの手紙を副えて訪ね、4月2日には横山武夫副知事と横山武雄商政課長が正式依頼のために訪問しています。

制作中の高村光太郎写真写真:ATV青森テレビ乙女の像建立50周年記念特別番組より

 高村光太郎は「乙女の像制作依頼」について、70歳の誕生日を迎えたばかりの昭和27年3月21日の日記に「晴やや寒、藤島宇内氏 谷口吉郎氏来訪、十和田湖記念彫刻の件をはじめてたのまれる。談話をいろいろきく。夕方まで。」と簡潔に書き留めています。

 また、二人に託した佐藤春夫の手紙には「昨年同地方に遊び十和田湖の美に打たれた者として同地の山神水伯のため貴下が県の熱意にお応え下さるよう特に小生からもお願い申し上げます。あの森厳崇高な自然に対して置かれるべき芸術品は貴下の御制作より外無いと存じます。・・・あそこに貴下の御制作以外のへんなものが置かれては人間の恥だからです。」と書かれており、光太郎の心を動かしたようです。

 後日、光太郎から藤島宇内へ届いた手紙には「(略)皆さんの熱意をも考へ、又仕事としての意味をも考へ、おうけして猛烈にやろうかといふ気になつてゐますが、ともかく谷口博士、佐藤氏、貴下等と一度十和田湖の自然を見てから決定したいと思います。(略)」と書かれていたそうです。

 同年6月16日から、谷口、菊地、草野、藤島、佐藤夫妻、中央公論社の松下等と現地調査のため十和田に入り、蔦温泉にある文人・大町桂月の墓に詣でた後17日奥入瀬渓流を経て、当初建設予定地だった子ノ口から湖上を巡り像制作の構想を練りました。何時間も熱心にご覧になり、湖面に自身の姿が映る十和田湖に非常に感動されたようです。そして6月20日浅虫温泉で、高村光太郎は制作を引き受けることを津島県知事に伝えました。

 このような経緯で10月12日東京へ帰京し制作に励むことになります。

 後の光太郎の談話に「(略)その像を見ていると自分を見ているような、自分が自分を見ているような感じに襲われるもの。つまり高い橋の上から深淵をのぞいていると吸い込まれるような、湖面を見ていると下りたくなるような、そういう感じを人間に型どってみたいと思って、現に創っている。」とあり、光太郎の晩年をつらぬくテーマだった、「自分が自分を見るという人間の理性」が伺える渾身の像となりました。

 制作までに係わった県関係者や住民の方々、また光太郎を慕う多くの仲間。人と人の繋がりと熱意が一つの像になったのだと思います。

 昭和28年10月21日 裸像(乙女の像)除幕式 天候は雨。

 光太郎は「清めの雨だな~」とつぶやいた。

資料:米田省三氏(十和田市教育長)講演会、
川口浩一氏(ATVアナウンサー)講演会、
光太郎と智恵子(新潮社)より

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